PNH患者さんの体験談妊娠中にPNH発症、多くの困難を乗り
越えて2児の母に(40歳代・女性)

これはPNH患者さんの1つの事例であり、すべてのPNH患者さんが同様な経過をたどるわけではありません。疾患の進行状態によって、症状などは個々の患者さんで異なります。

PNHと向き合いながら2児の母に…

鈴木 さん(仮名)
40歳代・女性

鈴木さんは高校生の頃から、疲れやすく体がだるいと感じることがありました。身支度を整えるような動作でも強い疲労を感じたり、通学の途中にたびたび貧血を起こし、立っていられなくなることもありました。また、身に覚えのない青あざ(紫斑)ができることもあり、「あざができやすい体質なのかな」と思っていました。20歳代の前半に健康診断で貧血を指摘されましたが、特に受診するような指導はなく、これも「女性にはよくあることだろう」とあまり気にしていませんでした。その後、貧血気味ではあったものの日常生活に特に影響はなく、結婚して第1子を妊娠しました。しかし、切迫早産の可能性が疑われたため入院することになり、この時の血液検査で血小板の数が少ないことがわかりました。担当の医師からは、「この病院で出産するのは難しいかもしれない。もっと大きな病院への転院を考えないといけないかもしれない」と告げられ・・・。

体調と気持ちの変化グラフ

PNHと診断されてから第1子、第2子を出産するまで

妊娠中にPNHと診断され、頭が真っ白に

当時、私は妊娠7ヵ月で切迫早産の可能性が疑われただけでなく、血液検査で血小板の数が少ないという指摘を受け、そのまま入院することになりました。ある日、尿検査のために尿をとろうとした時、真っ黒色の尿(コーラ尿)が出て驚き、看護師さんを呼んで見てもらいました。このコーラ尿を見た看護師さんもとても驚いている様子でした。それから徐々に尿色は薄くなっていきましたが、依然として赤茶色の尿が続きました。これをきっかけに私は総合病院に転院することになり、約1週間後に転院先で発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)と診断されました。血液内科の主治医からは「PNHは血液の難病です。PNHが原因であらわれる症状を抑える治療はあるけれど、PNHそのものを完治する治療はありません。これから鈴木さんはずっとこの病気と付き合っていくことになります」と説明されました。さらに、「PNHは患者さんの数が非常に少ない病気(希少疾患)で、鈴木さんは私が診る初めてのPNH患者さんです」と言われました。PNHという聞いたこともない病名にどう反応していいか分からず、「お腹の中に赤ちゃんがいるのに、私はどうなるのだろう?」と不安と恐怖で頭が真っ白になってしまいました。当時、妊娠・出産を経験したPNH患者さんはほとんどいなかったようで、主治医から「第1子を無事に出産することに専念して、第2子を持つことはあきらめるように」とも言われました。私はこの言葉にショックを受け、「あと何年生きられるのか?もうすぐ生まれてくる赤ちゃんを育てられるのか?」という不安と悲しみでいっぱいでした。自分の体で起こっていることが「難病」や「希少疾患」という聞き慣れない病気であることに恐怖を感じ、病気について主治医に質問することもできない状態でした。当時は、現在のようにインターネットが普及していなかったので、携帯電話を使ってPNHについて調べました。ところが、自分の不安を少しでも和らげようと思って調べたのに、「PNHは余命が短い」、「治療法が確立していない」といった内容ばかりで、かえって不安が強まり、ひどく落ち込みました。このような状況でしたが、幸いにもPNHの症状がまだ軽かったことと、血液内科の主治医と産科の主治医の連携のおかげで無事に第1子を出産することができました。妊娠中にPNHと診断され、悲しみの底に沈んでいましたが、無事に我が子の顔を見ることができたことは嬉しく、大きな救いになりました。

PNH患者さんたちとの出会いが心の支えに

私は軽症のPNHだったため、第1子を出産した後の数年間は定期的な通院で検査を受けていました。今思えば、体のだるさを感じるなか、慣れない育児で十分な睡眠もとれず、精神的にも不安定だったと記憶しています。免疫力も下がっていたのか、風邪ばかりひいていて、風邪が引き金となってPNHの発作が起きるのではないかと怯えながら毎日を過ごしていました。しかし、コーラ尿が出たのは第1子の妊娠中の時だけで、その後はインフルエンザや風邪にかかった時に、うっすらと赤味がかった尿が出る程度でした。家族はいつも私のそばで励まし支えてくれていましたが、「自分の心の内を話せる同じ病気の人たちと気持ちを共有したい」と思うようになり、インターネットでPNHの患者会や闘病生活をブログに書いているPNH患者さんを見つけて連絡を取りました。さまざまな患者さんとつながることで、不安や悩みだけでなく病気や治療に関する情報も共有できるようになり、「私だけじゃない。皆、さまざまな状況の中でPNHに向き合っている」ことが分かり、とても勇気づけられました。

血液内科と産科の主治医の連携により、無事に第2子を出産

私はどうしても第2子を望む気持ちが強くあったので、産科と血液内科の主治医に相談しました。産科の主治医は「第2子を望むのなら、なるべく早く出産したほうがいい」と言い、血液内科の主治医は「第2子の妊娠・出産は難しい」と異なる意見でした。悶々とした日々を送っていたところにPNH以外の病気が見つかり、手術を受けることになりました。疲労感に見舞われながらもなんとか育児や家事をこなして自分を奮い立たせていた時期だっただけに、再び大きな衝撃を受けて落ち込みました。無事に手術が終わり、体調も回復したところで第2子を妊娠しました。第2子の妊娠・出産に懸念を示していた血液内科の主治医でしたが、妊娠が分かった時から産科の主治医としっかり連携して診療にあたってくださったので心強かったです。血液内科の主治医の判断で、第2子出産の少し前からPNHの治療を始めました。そして、治療を開始した数週間後に両診療科の主治医が決めてくださったタイミングで第2子を無時に出産しました。

第2子を出産してから現在まで

小さな楽しみを見つけて、「気分を良くすること」を優先する日々

家族は、私がPNHという病気を抱えながらも2人の子供を授かったことを喜んでくれました。特に夫の両親は近くに住んでいることもあり、たびたび食事や子供のおむつを持って来てくれました。会うたびに励ましの言葉をかけてくれ、心の支えになってくれました。それでも、病気や育児のことで心配は尽きず、親しい友人たちに不安や悩みを話すことで心の安定をはかっていました。友人たちはどんなことでも受け止めてくれて、励ましてくれました。たわいもないことでも友人たちと話すことで自然に勇気が湧いてきて、前向きな気持ちになれました。そして、下の子供が幼稚園に入園してから、私は仕事に復帰しました。職場の人たちには病気のことを伝えており、時々、私の体調を気遣って温かい言葉をかけてくれます。今は安心して自分のペースで仕事を続けることができています。
PNHの治療を受けていても時々疲労感を感じることはありますが、以前に比べるとずいぶんと改善した気がします。一時期は自分の体のことを考えて、「もっと栄養のある食事を摂ろう」と食事内容に気を配っていましたが、気にし過ぎて逆に具合が悪くなってしまうことがありました。今は、「気分を良くすることが大事」と考えています。好きなものを食べ、行きたいところに出かけ、小さなことでも楽しいと思えることを見つけることが心のエネルギーを高めることになると思っています。「なんとかやっていそうだ」と思えることが、実はとても大切なのではないかと実感しています。

コロナウイルスに感染後、再生不良性貧血(AA)への移行が判明

コロナウイルスが猛威をふるっていた頃、ワクチンを接種しましたが、その時期から血小板の数が少しずつ減っていきました。主治医に相談しながら、コロナウイルスに感染しないよう気を付けて生活をしていましたが、検査で陽性判定が出てしまいました。これをきっかけに、数ヵ月間にわたり血小板の数がどんどん減っていき、不安で仕方ありませんでした。主治医からPNHはAAと相互に移行することがあると聞いていましたが、コロナウイルス感染後にAAへの移行したことがわかり、あまりのショックでうつ気味になってしまいました。「これまでに多くの困難を乗り越えてきたのに、今度はAAなのか」と涙にくれる日々で、家族に当たってしまうこともありました。辛くて悔しくて、AAに移行したことを受け止めるまでに1年ほどかかりました。
主治医からAAの治療について説明を受けましたが、いまのところ日常生活に大きな影響はないので、定期的な検査のみで様子を見ることになりました。PNHを発症してから今日まで、語り尽くせないほどの困難と悲しみを乗り越えてきましたが、これは主治医をはじめ病院のスタッフ、家族、友人、職場の方々のサポートのおかげだと感謝しています。これからの治療については、主治医とよく相談しながら決めたいと思っています。また、これからも普通に年を重ねて、楽しいと思えることをたくさん見つけて生きていくことが、今の私の夢であり、目標です。

同じ病気の患者さんにお伝えしたいこと

気持ちを共有できる人たちとつながりを持ち、前向きに生きてほしい

私がPNHと診断された直後は、家族にしか不安や悩みを話せませんでした。しかし、家族には余計な心配をかけたくない気持ちもあり、思っていること全てを話すことができず、孤独感にさいなまれることもありました。そんな時に、同じ病気の患者さんたちとコンタクトできるようになり、どれだけ救われたか言葉では表せません。患者同士だからこそ通じ合えること、共有し合えることがあり、病気と向き合う気力が出てきます。病気に対する不安や孤独感に捕らわれたままでは、前向きな気持ちにはなれません。こんな時は、患者会などを通じて同じ病気の患者さんと話をしてみることをお勧めします。私はPNHを発症して十数年経ちますが、いまだに不安に駆られて落ち込むことがあります。このような時こそ、PNH患者さんと会話の機会を持つようにしています。私がPNHと診断された頃は治療薬もなく、治療法も確立されていませんでしたが、PNHの研究が進み、今ではPNHに対して様々なお薬が使える時代になっています。PNHの治療薬の開発は現在も続いていますので、将来、PNHを完全に治すことができる日が来るかもしれません。患者さんやそのご家族の方々には希望を持って、前向きに、毎日を明るい気持ちで過ごしてほしいと思っています。

作成年月:2024年10月