PNH患者さんの体験談PNH診断までに約2年半、絶えない不安
の先に見えた希望の光(70歳代・女性)

これは発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)患者さんの一つの事例であり、すべてのPNH患者さんが同様な経過をたどるわけではありません。疾患の進行状態によって、症状などは個々の患者さんで異なります。

3回目の診断でPNHと診断された患者さんの体験談

加藤 さん(仮名)
70歳代、女性

今から数十年前、加藤さんは3人のお子さんの育児と家事に追われるも充実感を感じる日々を過ごしていました。ところが、あるときから頭痛と倦怠感に悩まされるようになり、思うように家事をこなせなくなってしまいました。それまでは健康で体力にも自信があったので、これは単なる運動不足か怠け心のせいだと思っていました。しかし、ある日、いつもより月経の出血量が多い日が続いたため婦人科を受診したところ、血液の病気の可能性を指摘され、緊急入院することになりました。発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)と診断されたのは、この緊急入院から約2年半後のことでした。

症状があらわれてからPNHと診断されるまで

頭痛と疲労感により家事が滞るように...

最初に体調の変化に気づいたとき、私には幼稚園児と小学生の3人の子供がいて、育児と家事に追われる忙しい日々を送っていました。ところが、あるときから頭痛と倦怠感に悩まされるようになり、このような症状が徐々にひどくなって家事が滞るようになってしまいました。食事はなんとか作れていたのですが、使い終わった食器を洗う、取り込んだ洗濯物をたたむといったことができなくなっていて、冷蔵庫の中はぐちゃぐちゃ、家の中はだんだん散らかっていきました。しかし、思うように家事ができないのは運動不足か怠け心のせいだろうと思い、あまり深刻に考えていませんでした。
ある日、いつもより月経の出血量が多い日が3日も続いたので婦人科を受診しました。私を診てくださった先生は、私の太ももいっぱいに広がる紫色のあざ(紫斑)に気づき、「婦人科の病気ではないかもしれない、内科の医師に診てもらったほうがいい」と、内科を紹介してくださいました。内科で血液検査と止血検査を受けた結果、私は特発性血小板減少性紫斑病(ITP)と診断され、緊急入院することとなりました。

体調と気持ちの変化グラフ

入院・治療を開始しても症状は改善せず不安がつのる日々

ITPと診断されたときは、1ヵ月ほど入院して治療すれば症状は改善して退院できるだろうと思っていました。ところが、症状はなかなか改善せず、日に日に気持ちが落ち込んでいきまました。「この病気は遺伝するのだろうか」、「私がいなくなったら、残された夫や子供たちはどうなるのだろうか」というような心配で頭がいっぱいになり、今までにないほど弱気になってしまいました。
入院して1ヵ月ほど経った頃、主治医の先生の紹介で別の病院に転院することになりました。転院先で検査を受けたところ、私の病気はITPではなく骨髄異形成症候群(MDS)だと診断されました。それからMDSの治療を始めましたが回復が見込めないまま4ヵ月が経ち、自宅療養をすることになりました。退院してからも先生方は一生懸命に私の治療を考えてくださり、あらゆる治療を続けた結果、徐々に私の頭痛や倦怠感はなくなっていきました。

緊急入院してから約2年半後にようやくPNHと診断

これまでに2つの診断名がついて治療をしたにもかかわらず症状があまり改善しなかったので、私は「本当にITPなのだろうか、MDSなのだろうか」と思うこともありました。最初の緊急入院から約2年半が経ったころ、精神的なストレスが重なったためか真っ赤な尿が出て検査を受けました。ここではじめて発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)と診断されました。
PNHと診断された時、主治医の先生が「PNHは血液内科医でも一生のうちに患者さんを一人見つけられるかどうかわからないくらいのめずらしい病気です」とおっしゃいました。私はとても驚きましたが、同時に「この病気のメカニズムや治療薬の研究に貢献できるかもしれない」と思いました。先生からは、「感染症や身体的・精神的ストレスはPNHの発作を引き起こす可能性があるので、日頃から感染予防に努め、疲れやストレスをためないこと、十分な睡眠時間を取るように」と指導を受けました。診断名がPNHに変わっても体調や日常生活に大きな変化はなく、子供たちや義理の母など家族や親戚はこれまでと同じように私をサポートしてくれました。

PNHと診断されてから現在まで

主治医の先生の勧めでPNH治療を変更、未来への希望が芽生える

PNHと診断された後、私はPNHに関する情報を求めて患者会へ連絡しました。インターネットを通じて他のPNH患者さんと交流し、PNHに関する情報を交換したりしました。心配事や不安な気持ちをお互いに話せる患者同士の交流の場があることは、私の心の支えになっていました。
当時、私はPNHの治療のためにいくつもの薬を服用していました。PNHであらわれる貧血の症状も辛かったのですが、治療のために服用している薬の影響で声が低くなったり、体毛が濃くなったりしたことは、仕方ないとわかっていてもとても辛かったです。また、毎日多くの薬を服用していても病状は徐々に深刻化し、輸血が必要な状態になっていました。この頃の私は、「もうあまり生きられないかもしれない」と覚悟して毎日を過ごしていました。そんなある日、患者交流の場で新しい治療の話を聞き、藁にもすがる思いで主治医に相談したところ、私の症状を考慮したうえで主治医がその治療への変更を決定してくださいました。それ以降、治療をはじめる日が待ち遠しくて仕方なかったため、治療を変更した日のことは、今でも鮮明に覚えています。点滴をしてくださった看護師さんに「今日は記念日です」と言って握手して、病院で大はしゃぎしてしまいました。治療変更当初は貧血と黄疸で顔色は真っ白、白眼は黄色かったのですが、治療を開始して以降、徐々にこのような症状は改善し、頭痛や倦怠感に見舞われる頻度も減りました。そして、何よりも家事をしっかりこなせるようになり、未来への希望が芽生えてきました。日常生活もままならなかった時期を乗り越えた今、趣味だった水泳を再開し、体調が良いときはプールで泳いでいます。体調がもっと安定したら、水泳大会にも出て、思い切り泳ぎたいと思っています。

主治医の先生や看護師さんとはフランクに話せる関係

現在もPNHの治療を続けており、検査と治療のために定期的に通院しています。体調は基本的には安定していますが、ときおり重い貧血の症状や褐色尿が出ることがあり、以前より頻度は少ないものの輸血が必要な時があります。主治医の先生は慎重な方で、私の体調や治療について注意深く検討してくださることと、「良いことは良い、悪いことは悪い」とはっきりおっしゃってくださるので心から信頼しています。先生には、病気や治療に関する疑問や不安など、どんなことでも相談しています。看護師さんたちともフランクに話せる関係にあるので、安心して治療を続けています。

同じ病気の患者さんにお伝えしたいこと

一人でも多くの難病の患者さんが、将来に希望を見いだせるようになることが心からの願い

私は、自分の健康や体力に自信があったので、まさか自分がPNHという難病になるとは思ってもいませんでした。緊急入院してからの数十年、辛いことや悲しいことがたくさんありました。ときには、不安のあまり自暴自棄になってしまったこともありました。私がここまで生きてこられたのは、主治医をはじめとする医療関係者の方々、患者会の皆さま、そして家族のおかげです。さらに、PNHという病気のメカニズムや治療の研究に携わってくださった先生や研究者の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。この気持ちを忘れずに、これから先も心を豊かにして生きていきたいと思っています。
PNHだけでなく、難病に苦しむ患者さんは少なくありません。また、病気のメカニズムが十分に解明されていないために、治療薬が開発されていない難病もあります。今後、PNHをはじめとするさまざまな難病やその治療薬の研究がさらに進み、一人でも多くの難病の患者さんが将来に希望を見いだせる日がくることを心から願っています。