PNH患者さんの体験談再生不良性貧血からPNHへ移行、
不安な日々を乗り越えて(50歳代・女性)

これはPNH患者さんの1つの事例であり、すべてのPNH患者さんが同様な経過をたどるわけではありません。疾患の進行状態によって、症状などは個々の患者さんで異なります。

再生不良性貧血(AA)と診断され、入退院を
繰り返しながら...​

石川さん(仮名)
50歳代・女性

石川さん(仮名)は、社会人になって間もない頃、階段の上り下りや布団の上げ下ろし、立ち上がるといった動作で息切れや動悸がして、なぜこんなに疲れるのだろうと思う事が何度かありました。そんなある日、通勤途中にひどいめまいに見舞われたため、病院を受診したところ、すぐに入院することになりました。そこで、再生不良性貧血(AA)と診断され、入退院を繰り返しながら治療を続けました。AAを発症してから約6年後、AAから発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)に移行したことが判明しました。

体調と気持ちの変化グラフ

AAの症状があらわれてからPNHに移行するまで

めまいのために受診、すぐに入院することに

新社会人として働き始めた頃から、階段の上り下りや布団の上げ下ろし、立ち上がるといった動作で息切れや動悸がして、何かおかしいなと思っていながら過ごしていました。新社会人として働き始めて2ヵ月ほど経ったある朝、通勤電車の中でひどいめまいに見舞われたため途中下車して、内科を受診しました。当時、担当してくださった医師からは全身に紫色のあざ(紫斑)が20ヵ所あることを指摘されましたが、どこかに体をぶつけた記憶もなかったので自覚もしていませんでした。血液検査では赤血球、白血球、血小板のすべてが減っていることが判明し、受診したその日に入院し、その翌日に輸血を受けることになりました。これまで、入院などしたこともない私は、突然の入院に驚き不安でいっぱいになりました。その一方で、息切れや動悸といった症状に悩まされ、つらい日々が続いていたので、「少し入院して安静にすれば、落ち着くだろう。」と重く受け止めていなかったことを覚えています。

1日1日を生きることが精一杯の日々

当時は、患者に病名を告知しない時代でした。入院中に血液検査や骨髄検査など、さまざまな検査を受けたのですが、病名を知らされていなかったこともあり、徐々に不安がつのりました。回診のたびに、主治医の口から発せられる「ハーベー」や「プレート」といった専門用語に違和感を感じながら、その単語や数値をこっそりメモしていましたが、インターネットがない時代だったので、メモをとっても調べることができませんでした。そんなある日、血液の病気について特集している記事を偶然目にしました。その雑誌には病気のことがとても詳しく書いてあり、記事を読んで「もしかしたら私は再生不良性貧血(AA)かもしれない」と思うようになりました。その後、「少し入院して…」と考えていた以上に入院期間は長引き、退院したのは10ヵ月後でした。

退院後は定期的に通院を必要としました。その時偶然、医師の手元にある私のカルテに“AA”と書いてあるのが見えて、「私の病気はAAなのだ」だと知ることになりました。入院中に読んだ記事でAAが稀な病気であることは知っていたのですが、治療方法はいくつかあるので特別な病気ではないと思っていました。
AAに対しては、輸血やステロイド剤、免疫抑制剤、止血剤やビタミン剤などによる治療を受け、当時、私は全部で1日に33錠もの薬を服用していました。体調が良くなったり、悪くなったりして入退院を繰り返していたため気持ちが安らぐことはありませんでした。入院している間は7~10日に1回輸血を受け、退院後は2週間に1回は通院していました。治療生活が続き、体調も万全ではなかったため就職した会社も数ヵ月で退職せざるを得なくなりました。しばらくは体にできるだけ負担がかからないように実家で家事手伝いをして過ごしましたが、入院が必要になることもしばしばあり、1日1日を生きることが精一杯でした。私の体調を心配していた母が漢方を煎じてくれたり、外泊許可をもらって家に帰ったときに新聞や雑誌に掲載されている病気の記事の切り抜きをノートに貼っているのを見て、つらいのは私だけではないと思いました。
日常生活では、主治医から服用している薬の影響を聞き、食事や外出に気をつけていました。例えば、免疫が落ちて感染症にかかりやすくなっている状況だったので、できるだけ人混みを避けるようにして生活していました。特に感染症が流行する冬は常に気が張りつめていました。友人にとっては軽い風邪でも、私にとって感染は、症状の重症化につながるため、冬は友人に会えないなと思うこともありました。また、常に貧血状態で輸血を繰り返していたので、いつまで同じことが続くのだろう?いつか輸血しても血小板が増えなくなるのでは?大出血を起こすのでは?白血球数が少なすぎて、重篤な感染症を起こすのでは?と考え、悲しくなる夜もありました。季節は過ぎ春が訪れると、桜の花を見て「今年も桜を見ることができた、1年を越せた。嬉しい。」と思っていました。

AAからPNHへの移行が判明

ようやく体調が安定し、完全に通院治療に切り替わってから約1年、AA発症から約6年が経った頃、血液検査で血清乳酸脱水素酵素の数値が高いと指摘され、発作性夜間ヘモグロビン尿症(PNH)に移行していることが判明しました。PNHと診断された時は特に体調に変化はなく、思い当たる症状もありませんでしたので、AAからPNHへの「移行期」だったのだろうと思っています。その後、インフルエンザにかかった時、墨のような真っ黒な尿が出て、とても怖くなりました。その後もひどく疲れた時や発熱した時に黒い尿が出るようになり、トイレに行くのが怖くなりました。
PNHについては、血液内科の主治医から一通り説明を受けましたが、今までに聞いたことのない病気で、当時はPNHに関する情報も皆無でしたので途方に暮れてしまいました。私の家族は、AAの症状があらわれていた時ほどはつらそうではなく、入院もしていなかったのであまり深刻に受け止めていなかったようです。そして、AAの治療を止めて、PNHの治療に切り替えることになりました。

PNHに移行してから現在まで

PNHの情報を探し求めて

インターネットを使用できるようになり、自分でもPNHについて調べてみましたが、病気に関する情報は限られていました。ある日、PNH患者さんのブログを見つけ、その患者さんとの情報交換を機にPNHの患者会に参加してみました。それからPNHの患者さん達と会うようになり、「私と同じ病気の患者さんがこんなにいるの?」と驚きましたが、気持ちを共有できる場があることで少し安心感が生まれました。例えば、溶血が起きると「ゆで卵がのどにつまっているような感じ」がするのですが、他の患者さんも似たような感覚を体験していることを知り、「私だけではない」とほっとしました。みな、同じような悩みや不安を抱えていて、それを分かち合うだけでなく、PNHに関する情報を共有できたことで救われたような気持ちになりました。当時、インターネットを使用できるようになったとはいえ、今のように誰でもがスマートフォンやパソコンを使えるわけではなく、PNHに関する情報が限られていたため、患者会は情報交換の場としてとても重要な役割を果たしていました。
また、PNHはとても稀な病気であるため、専門医も限られていましたが、患者同士の情報交換を通じてPNHの専門医の存在を知ることができました。現在通っている血液内科の主治医は、PNHを専門としているわけではないので、年に1回は紹介状を書いていただき、PNHの専門医にも診ていただいています。2人の医師に診ていただいているので、安心して治療を続けています。​

自分を守るためにPNHであることを伝える

現在も定期的に通院して、体調も安定しています。私の場合は、他のPNH患者さんに比べて風邪やインフルエンザなどにかかると症状が強くあらわれるようなので、感染症には特に気を付けて生活しています。例えば、冬場に友人と外出する際はPNHについて簡単に説明し、感染症に注意しなくてはならないことを伝えています。自分の病気を友人に話すことに抵抗はありません。黙っていると、かえって余計な憶測や誤解を生むことがあるので、自分を守るためにも病気について話すようにしています。​

同じ病気の患者さんにお伝えしたいこと

患者会からの情報をもっと知ってほしい

インターネットの普及により、以前よりもPNHに関する情報を得やすくなりました。しかし、インターネット上には間違った情報があることも事実です。もし、体調の変化やいつもと違う症状に気づいたら、まずは医師に相談することが大切だと思っています。また、患者会では多くのPNH専門医とも情報交換をしています。患者会は最新の情報の提供だけでなく、患者同士の悩みや不安を共有する場でもあるので、私を含めて多くの患者さんの心の支えになっていると思っています。病気と長くつきあっていく中で迷うことや悩むことがたくさんあると思いますが、ひとりで悩まずにご家族や主治医の先生、患者会に相談してみることをおすすめします。「患者会」という名前に抵抗をもつ方も多いと思いますが、私にとっては「気持ちの通じる仲間を増やすグループ」であり、いつでも気楽に相談できる場所だと思っています。

これまでを振り返ると、長期の入院では年齢差のある友人がたくさんできましたし、結婚もしました。家族のありがたみもわかりました。病気にならなければ、なかったことです。
私は、海外を含め旅行が大好きなので、あちこちを訪問しています。自分で美容の仕事を起業して、その中で知り合ったお客様とも深くつながり、日々を楽しく過ごしています。通院日に検査室で採血をするときに「あ、そうか、私は病気だったんだ。」と思うほどです。まだまだ感染症には最大の注意をしなければなりませんが、目標を持って楽しく過ごしています。
私は20代でPNHになって、人生のほとんどをPNHと一緒に歩んでいます。今は辛く悩んでいる同病の方に、少しでも役に立てたらと思っています。

作成年月:2024年10月